卑弥呼(ひみこ)【生没年不明】
こんにちは、reopaです。case41は「卑弥呼」さんです。
日本最古の女王であり「邪馬台国」を治めていた卑弥呼さんは
どんな人物だったのでしょうか。
【銅像所在地】
【銅像所在地:佐賀県 神崎市 神崎町 神崎駅前】
卑弥呼(ひみこ)は、30程の国からなる倭国の都を邪馬台国(やまたいこく)に
したと言われていますが、その邪馬台国はどこにあったのか、現在でもわかっていません。
古代史最大の謎のひとつ邪馬台国の場所として有力とされる畿内説と九州説を中心に
現在も論争が絶えません。
九州説の中でも注目を浴びているのが、佐賀県にある「吉野ケ里遺跡」(よしのがりいせき)で
あり、発掘調査で大規模な環濠集落であることが判明し、日本を代表する弥生時代の史跡として
国の「特別史跡」に指定されています。
弥生時代は定住文化の始まりの時期で、稲作が日本で
始まったと言われている時代だね。
弥生時代は700年ほどの歴史で「吉野ケ里遺跡」はその中でも
最大級で、日本の古代文化の解明のために、重要な遺跡なんだ。
【家族構成】
父:不明(ふめい) 母:不明(ふめい)
兄弟:不明(ふめい)
子:なし
【人物像】
卑弥呼が女王になる前の倭国(わこく)は、男性の王が治めていましたが、長い間内乱が
続いていました。その結果、諸国が協議し王として祭り上げたのが、卑弥呼です。
古代中国の史書の「魏志倭人伝」(ぎしわじんでん)等に登場する卑弥呼は「倭国の女王」で
「鬼道」(きどう)と呼ばれる、呪術的なものを使い「国」を収めていたとされています。
女王になって以来、卑弥呼は人前に現れることはなく、宮殿に篭って呪術をしていたようです。
卑弥呼からの言葉は、弟が人々に伝えるなどして政治を助けて国を治めていました。
そんな卑弥呼ですが、古代の日本を記述した「古事記」や「日本書紀」には、登場しないため
謎の多い人物であり死因も不明です。
卑弥呼さんは「巫女」であり「シャーマン」だったと、
伝えられているね。
シャーマンとは、儀礼をおこない憑依した状態で、神霊と接して
様々な神託を人々に伝える事が、出来る人だね。
【時代背景】
2世紀後半の倭国(倭国)は男性の王が統治していましたが、大陸から稲作が
伝えられ各地に普及するようになると安定した食糧確保が可能になりましたが、
貧富の差が出来たことや、稲作に必要な土地や水を巡る抗争が絶えず起きていました。
倭国内のいくつかの小国の首長は、抗争を抑えるために相談し共立したのが、女王である
「卑弥呼」です。卑弥呼が女王になると、小国間の争いは無くなり国がまとまりました。
神に仕える身の卑弥呼は、結婚はせずに宮殿に籠り人前に姿を見せる事は無かったようです。
謎の多い卑弥呼さんだけど、1,000人の女官が近くで世話をしていて、
食事の世話や鬼道の神託を人々に伝えたのは、1人の男性だと言われて
いるんだね。
239年に卑弥呼は「魏」(ぎ)の皇帝に対し、難升米(なんしょうまい)という人物を
中心とした使者を派遣し数多くの物を献上します。翌年、魏の使者により「親魏倭王」
(しんぎわおう)を認める金印と銅鏡100枚が卑弥呼にもたらされました。
これにより卑弥呼を倭の支配者と認め、魏がその後ろ盾になったことを意味します。
「親魏倭王」とは、魏の皇帝が倭の王は「卑弥呼」である
と、認めた称号のことなんだね。
邪馬台国を中心とした倭の国は、身分制度や法制度、税制度が整えられており、
他国との交易も盛んに行われており国として確立されていましたが、243年に邪馬台国と狗奴
(くな)国との戦争に突入し、その戦いの最中に卑弥呼はその生涯を閉じたと言われています。
その後、男性の王を立てますが、国中が従わず再び抗争が起こりました。
そのため、卑弥呼の親族である壱与(いよ)を女王にたてると、抗争いが収まりました。
壱与さんは、卑弥呼さんと同じ一族で、13歳で女王になったと
伝えられている女性で、卑弥呼さんと同じ「シャーマン」だったようだね。
「魏志倭人伝」に邪馬台国への行き方が記録されていますが、邪馬台国の場所については
未だに解明されていません。魏から倭国に行く方法の記載を読み解くと、解釈により邪馬台国の
場所は、畿内とも九州とも思える内容のため、現在でも論争が絶えることなく、正確な場所は
特定されていません。また、卑弥呼の死去した際に倭国の人々は、大きな古墳を作ったとされて
いますが、こちらも場所が特定されていません。
【エピゾード】
日本神話の太陽神である「天照大神」(あまてらすおおみかみ)のモデルが、卑弥呼だと
言う説があります。卑弥呼は日御子(日巫女)であり、太陽を司る巫女だったと言われています。
天照大神が、天岩戸に隠れてしまう「岩戸隠れ」という神話があり、これは天照大神が
岩戸に隠れたため、太陽が消え辺りが真っ暗になり昼がなくなったという話です。
実際に、卑弥呼が亡くなったころに「皆既日食」が二回起こったことが確認されており、
天照大神の神話と卑弥呼の周りで起きた事が関連付けされ、同一人物では?と言われている
説です。
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