安倍晴明(あべのせいめい)【921年~1005年 享年85歳】

京都府,銅像平安時代,安倍晴明,晴明神社

reopa

こんにちは、reopaです。case26は「安倍晴明」さんです。
学問の知識と呪術を融合させ、式神を使う日本一の「陰陽師」と
言われる晴明さんは、どんな人物だったのでしょうか。

【銅像所在地】

【銅像所在地:京都府 京都市 上京区堀川 晴明神社】 
晴明神社」は「安倍晴明」が、祀られている神社です。晴明が亡くなった後の
屋敷跡に当時の天皇であった「一条天皇」の命により、清明の遺業を称え建立したと
伝えられています。晴明神社には、陰陽道に用いられる「祈禱呪符」の一つである
五芒星」が、鳥居をはじめ境内の至るところで見る事ができます。
また、なでる事で厄をおとせる「厄除桃」、晴明の念力で湧き出たとされる「晴明井
死者が蘇る橋で知られる「一條戻橋」、その傍らには晴明に仕えていたと言われる「式神
さまが、鎮座されています。

陰陽師と言えば「五芒星」を用いての厄払いや怨霊退治
イメージが強いけど、陰陽師とは何者なの?

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飛鳥時代以降の日本に設けられた官職の一つと言われ、中務省内の
陰陽寮」という部署に属し、占い・天文・時・歴の編纂(へんさん)
などを担当したんだ。

【家族構成】

父:安倍保名(あべのやすな) 母:葛の葉(くずのは)伝説上の狐の名前
兄弟:不明(ふめい)  
妻:不明(ふめい)
息子:長男 安倍吉平(あべのよしひら) 次男 安倍吉昌(あべのよしまさ)  

晴明さんの息子二人以外の存在は、諸説あり謎が多いんだよね。
母親が伝説上の狐というのは、神秘性を感じるね。

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母親が「葛の葉」さんという話は良く聞くけど、父親も諸説あって
大膳大夫・安倍益材(あべのますき)あるいは、淡路守・安倍春材
(あべのはるき)の子とされる説もあり、はっきりしないんだ。
晴明さんの奥さんは、式神が見える梨花さんという説もあるけど、
こちらもはっきりしなくて謎が多いね。

【人物像】

 幼名は童子丸、921年(延喜21年)摂津国阿部野に生まれたとされていますが、他にも奈良で
生まれたという説もあり、確かな記録が残っていません。晴明は平安京で活躍した日本史上屈指
陰陽師(おんみょうじ)」として有名ですが、かなり遅咲きの人物です。
幼い頃から40歳になるまでの晴明は、当時の陰陽師の大家である「賀茂忠行(かものただゆき)」
と、その子である「賀茂保憲(かものやすのり)」に、陰陽道を学んでいたといわれています。
40歳の頃は天文得業生で天文道という学問を学ぶ学生でもあり、50歳には天文道を教える立場で
ある天文博士となっています。天文道というのは現代の天文学ではなく、星や日月の運行から
吉凶を占う学問です。

当時の平均年齢は40歳に満たないといわれている
様だから、晴明さんは凄く長生きしたんだね。

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晴明さんの先輩である賀茂保憲さんが「陰陽博士」になったのが
20代後半で、晴明さんが陰陽博士になったのが、50代後半だから
かなりの遅咲きで長生きなのは確かな様だね。

【時代背景】

 平安時代といえば「妖怪」や「怨霊」などが信じら「怨霊信仰」が高まった時代です。
979年(天元2年)には、後の「花山天皇(かざんてんのう)」の命で、那智山の
天狗を封ずる儀式」を行います。しかし幻術や術を使ったような記録はなく、晴明の
仕事のほとんどは「魔除け」や「吉凶の占い」する仕事がほとんどです。
ただ、993年(西暦4年)に「一条天皇」が病に伏せった時、晴明がおこなった「お祓い」で
たちまち病が回復したといわれています。

 1004年(寛弘元年)の深刻な干ばつの際に、晴明の「雨乞いの五龍祭」が雨を降らせたと
伝えられていますが、翌年1005年(寛弘2年)に85歳の生涯を終えます。
後に、その功績をたたえて一条天皇の勅命にて京都の清明の屋敷跡に「清明神社」が建立
されました。清明は、天文得業生(陰陽寮で天文道を学ぶ学生の職)という修行中の時から
天皇や貴族たちの間で活躍
していました。
晴明は、中国から伝わった「六壬神課」(りくじんしんか)という占いを「占事略决
(せんじりゃっけつ)という本にまとめて子孫に残しています。

晴明さんは「陰陽師」としての才能が豊かで、天皇や貴族からの信頼が
厚かったようだね。そのため、天皇家や藤原家などとつながりを強めて
師匠筋にあたる賀茂氏と並び立つ地位にまで上り詰めたんだね。

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晴明さんの子孫は室町時代から「土御門家」(つちみかどけ)と名乗り
明治時代に至るまで朝廷の陰陽寮を取り仕切っていたんだよ。

【名言】

優しい言葉ほど良く効く呪いはないぞ
人は仏になるというのは、幻よ

【エピソード】

 晴明のライバルといえば「蘆屋道満(あしやどうまん)/道摩法師(どうまほうし)です。
藤原道長が、愛犬と共に出かけたある日、愛犬は主人がそれ以上先に進めないよう強く咥え、
この様子を不審に感じた道長は、晴明にこのことを相談し占わせると、晴明は「道に呪う
ための呪物が埋められていたのを、犬が察知したのです」
と伝えます。
この呪物を埋めたのが、道満とされています。

道満さんは、なにかと悪者扱いされているけど実は、
陰陽師としての力を使い民間の人々に尽くしたという
説もあるんだよね。

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道満さんは、晴明さんから妻と言われている梨花さんを奪い、
その上で卑怯な勝負で晴明さんを殺したという話があるんだ。
最後は、師匠により蘇生された晴明さんに道満さんが、殺され
るんだけどね。本当の道満さんは、どんな人だったんだろうね。

 晴明の「父・安部保名」が参拝の帰り道、信太(しので)の森で狩りで追われた
白狐」を助けました。後に白狐は女性の姿で保名の前に現れます。この白狐は
葛の葉」と名乗り二人は、結婚し生まれたのが「晴明と伝えられています。
晴明が幼い頃、葛の葉が白狐と知られてしまい、信太の森に帰ることになります。
その時に葛の葉は「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という
和歌を残したそうです。狐は古来より、霊力を持った生き物として人々から
崇められており、晴明の並外れた能力は、母親の血を継いでいるためかもしれません。

京都府,銅像

Posted by reopa