柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)【生没年不明】

2023年1月14日奈良県,銅像飛鳥時代,柿本人麻呂,人麻呂公園

reopa

こんにちは、reopaです。case29は「柿本人麻呂」さんです。
宮廷歌人で「三十六歌仙」の一人であり、万葉集の中で「歌聖」と
称えられている
人麻呂さんは、どんな人物だったのでしょうか。

【銅像所在地】

【銅像所在地:奈良県 宇陀市 大宇陀拾生 人麻呂公園】 
 人麻呂公園は、1995年(平成7年)に発掘された「中之庄遺跡」を保存するための
遺跡公園です。遺跡は、弥生時代・飛鳥時代・中近世の3時代にわたる遺構が発見され、
いにしえの生活の痕跡が残る重要な遺跡として公園整備され、復元された「掘立柱建物」や
竪穴式住居」があります。

 この遺跡周辺は、飛鳥時代「阿騎野」と呼ばれる大和朝廷の「狩り場(薬狩り)」だったと
いわれています。園内には、故中山正實画伯による壁画「阿騎野の朝」を元にした
柿本人麻呂像」と人麻呂の歌が刻まれた「万葉歌碑」が建立しています。
「ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかえりみすれば月かたぶきぬ」
人麻呂が万葉歌の傑作として伝わる ”かぎろひ” を謳った場所としても有名です。

薬狩りとは、もともと「薬猟」といって鹿の若角をとる猟のことを表して
いたんだね。鹿の若角は「鹿茸(ろくじょう)」と呼ばれ、補強壮剤として
用いられたらしいね。

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猟に参加していた女性は薬草を積んだりしていた事から「薬猟」が
薬草採りを表す「薬狩り」と変わったようだね。そして「かぎろひ」とは、
陽炎などの輝く光をさしているんだよ。

【家族構成】

父:柿本大庭(かきのもとのおおば) 母:不明(ふめい)
兄:柿本佐留(かきのもとさる) 
妻:依羅娘子(よさみのおとめ) 
息子:不明(ふめい)

【人物像】

 万葉歌人として有名な人麻呂(ひとまろ)ですが、公式な資料に登場しないため、
その生涯は多くの謎に包まれています。名は「人麿」(ひとまろ)とも表記されます。
官史の中でも低い役職だったと言われていますが、官廷歌人として持統天皇文武天皇
行動を共にし諸皇子と旅をしながら、各地で数多くの歌をよみ残しています。
後世、山部赤人(やまべのあかひと)と共に「歌聖」と呼ばれ、称えられています。
人麻呂(ひとまろ)は万葉集」第一の歌人と言われ、長歌・短歌共に多く掲載されていると
いわれています。 また三十六歌仙」の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることも
多いようです。

歌聖」とは、特に優れた和歌や短歌を詠む人物を称えた呼び名で
和歌三聖」と言われる、柿本人麻呂さん・山部赤人さん・衣通姫
(そとおりひめ)さんが、特に有名なんだよね。

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そして平安時代の優れた歌人に選ばれたのが「三十六歌仙」と呼ばれ、
人麻呂さんと赤人さんは、そちらにも名前が挙がっているんだよ、

【時代背景】

 人麻呂は「万葉集」を代表する歌人ですが、詳しい事が不明で謎に満ちた人物です。
人麻呂が詠んだ歌で初期のものは、689年(持統天皇3年)の草壁皇子(くさかべのおうじ)の
葬儀儀礼の時の歌があり、最後が700年(文武天皇4年)の明日香皇女(あすかのひめみこ)の
葬儀儀礼の歌が残っているので、その頃の時代を中心に活躍したと思われますが、正式な生誕の
年代などは不明なままです。

 人麻呂の歌は、持統天皇(じとうてんのう)の即位からその崩御にほぼ重なっており、
この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったともいわれています。
表現のうえでも、多数の新しい枕詞(まくらことば)を創出した万葉歌人中の
第一人者とされる、人麻呂の果たした功績はきわめて大きく、人麻呂を通じて和歌史が転換すると
いっても過言ではない
ようです。

人麻呂さんが、公文書に登場しない謎の多い人物のためか、持統天皇の
愛人説や文武天皇の后との関係が元で「流罪」になった等の創作だと思える
逸話も多いね。

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万葉集」の制作に必要だった人麻呂さんを流罪先から、呼び戻どすために
罪人」のままでは都合が悪いので、名前を山部赤人」と改名させた
という説もあるんだ。山部赤人さんも実は経歴不詳の人物なんだよ。

 当時は口から口へ受け継がれていた文学を、歌として書く文学へと転換したのが人麻呂です。
なお、人麻呂の後の時代へ与えた影響は、とても大きく「万葉集」の時代にすでに模範とされて
おり、のちに歌聖と呼ばれ、さらには歌神」として祀(まつ)られています
人麻呂は「言霊を用いた呪術である和歌を自在に操ることができた人物」とも表現されています。

公文書に登場しない謎の多い人物なのに、人麻呂さんを祀ている
神社は、日本全国にたくさんあるんだね。

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たくさんの歌を残した人麻呂さんですが、ここでは二つだけ
の紹介になるけど、情景が目に浮かんでくる感じの歌です。

【名言】

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む
(夜になると谷を隔てて独り寂しく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように、
長い長いこの夜を、私は独り寂しく寝るのだろう。)

鴨山の 岩根し枕ける われをかも 知らにと妹が 待ちつつあらむ
(鴨山の岩根を枕にして死のうとしているわたくしを、それとは知らずに、妻は
わたくしの帰りを待っていることであろうか。)

【エピソード】

 人麻呂は、王権をたたえる賛歌や死者を追悼する挽歌を詠んでいます
次期天皇とされていた「草壁皇子」が若くして亡くなった際には挽歌を詠んでおり、
人麻呂が宮廷に仕えていたのは間違いないと言われています。しかし「万葉集」に
あれだけ多くの歌と名前を残しているにも拘わらず、「日本書紀」や「続日本書紀」などの
公式な資料に名前が一切出てきません。その理由については、「人麻呂の官位が低かった
罪人だったため名前を変名され、別の名前で記録された」などさまざまな説があります。

人麻呂さんは、公式な資料に名前が出ていないけど、
逸話をみると「神話時代」の伝説のようだね。

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神に近い存在」として語り継がれているから、各地に人麻呂さんを
祀る神社があるんだろうね。

 人麻神社の近くに住んでいた人(綾部家と言われています)の家の前に柿の木があり、
ある日、その木の元に7歳くらいの男の子が現れました。
近所では見かけない子供だったので、綾部家の人が「どこから来たのだ?」と尋ねると、
私には家もなく、父・母も居ません。知っているのは和歌の道だけです。」と答えました。
綾部家の人は、自分のうちに連れて帰ったこの子供が、後の柿本人麻呂でした。
人麻呂のエピソードには、子供の頃に出向いた近くの山にあった大きな岩に「鎌で歌を刻んだ
話や「鬼人を和歌で追い払った」話など、興味のある逸話がたくさんあります。

2023年1月14日奈良県,銅像

Posted by reopa