空海/弘法大師(くうかい/こうぼうたいし)【774年~835年 享年61歳】

2024年3月24日栃木県,銅像鑁阿寺,空海,平安時代

reopa

こんにちは、reopaです。case9は「空海/弘法大師」さんです。
日本仏教の聖地」で知られる高野山を開いた空海さんは
どんな人物だったのでしょうか。

【銅像所在地】

【銅像所在地:栃木県 足利市 家富町 鑁阿(ばんな)寺】
 鑁阿寺は、正式名を「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺」といい、足利氏の屋館(やかた)
だった場所にあり本堂は「国宝」に指定されています。
室町幕府を開いた足利尊氏で有名な、足利一族の発祥の地で足利氏館として
「日本100名城」にも選ばれています。 
現在は真言宗大日派の本山で、大日如来を本尊として祀っていることから、足利市民から
「大日様」とよばれ親しまれている「名刹」(名高い寺)です。

【家族構成】

父:佐伯田公(さえきのたぎみ) 母:玉依御前(たまよりござん)
兄:佐伯鈴伎麻呂(さえきのすずきまろ) 弟:真雅(しんが)

空海さんは、幼少の頃から神童と呼ばれ将来を期待されていたんでしょ?

reopa

空海さんは「神童」「貴物」と呼ばれ、将来を期待されていたけど、大学を
中退したり自分の意思が強かったから、親もヒヤヒヤしたんだろうね。

【人物像】

 幼名は真魚(まお)讃岐国(現香川県)地方の、豪族の次男として生まれました。 
空海は、平安時代初期に活躍し「真言宗」(しんごんしゅう)を開いた日本の歴史上
もっとも有名なお坊さんの一人です。
「真言宗」とは、密教の流れを組む宗派で、死んでから極楽浄土に行くのではなく、
仏の心を悟ることで、この世で仏になれる「自力本願」の教えが基本です。
「弘法大師」(こうぼうだいし)の名は、空海の死後に後醍醐天皇(ごだいごてんのう)から
送られた称号で、現在も多くの人々の信仰を集めています。

当時の京の大学は、貴族出身の人たちが入学するところで空海さんの様な
豪族出身は入学が困難だったらしいね。そういえば、空海さんが若い時に
修業した場所が、空と海しか見えない所だったから「空海と名乗ったって
知ってた?

reopa

15歳で上京した空海さんは、母方の叔父の「阿刀大足」さんから、
論語など色々と学んで、18歳で難関の大学に合格したんだ。
「空海」の名前の由縁は、知らなかったよ。

【時代背景】

 空海は、官僚になるために18歳から大学で猛勉強をしますが、20歳頃に仏教の道に進みます。
仏道修行中に「遣唐使」(けんとうし)と共に、留学僧として唐に行く機会を得ます。
この中には、天皇に留学の使命を託された高僧の「最澄」(さいちょう)もいました。
この時点では、最澄は国から認められていたエリート、空海は無名な学僧の一人でした。

裕福な将来を考えて官僚の道を目指したけど、貴族社会の背景があり
出世を目的にした生き方では、幸せになれないと感じた様だね。

reopa

実は空海さんが、出家することを親族は猛反対したんだよ。
そこで空海さんは、儒教・道教・仏教を比較して仏教が一番
優れていると説いたんだ。

 空海は唐で暮らした2年間で「密教」をマスターします。
「密教」とは「大日如来」(だいにちにょらい)を敬う教えで「本質上は仏と私はひとつである』
自分の外に仏があるのではなく、すでに仏は自分の中にあるという教えで、心身ともに
仏とひとつになることで、願いごとも叶うというものです。

 空海は帰国する際に、次のような言葉を残しています。
「虚しく往きて実ちて帰る」何もない空っぽの状態で留学し、満ち足りて帰ってきた
という意味です。

空海さんは、様々な経典と出会い理解に努める中で「大日経」と出会い
「大日経」を、もっと理解するために唐に渡ったと聞いたことがあるよ。

 帰国後の日本では、密教ブームがおこっており、密教をマスターしている空海はとても
貴重な存在で、最澄と並び称される地位にまでになりました。
これを機に最澄も密教を学びたいと考え、年下の空海の弟子になる事になります。
最澄は、平安時代のはじめに新しい仏教である「天台宗」(てんだいしゅう)を開いています。

reopa

もともと長期留学の命を受けていたのに、2年で帰国した空海さんは
罪に問われたんだ。それを助けてくれたのが、エリート僧侶の
最澄さんなんだよ。最澄さんも密教を少し学んでいたけど、
空海さんのそれには、遠く及ばなかったんだね。

 816年(弘仁7年)には、空海を高く評価した嵯峨天皇(さがてんのう)から、
高野山を与えられ、修行場として「金剛峯寺」を建立しました。
823年(弘仁14年)には東寺も与えられ、活躍の場は平安京まで広がりました。
宗教活動や庶民のための事業などを行い「綜芸種智院」という学校を建てています。
そんな人との触れあいの中で、いつしか空海自身が人々の祈りの対象となりました。
空海の1番の功績は、同じ時代に活躍した最澄と共に人々を救う仏教を広めたことです。

空海さんは、唐で学んだ薬の知識で病気の人を助けたりしたんだよね。
ある事件が元で、最澄さんとは疎遠になるけど二人とも人々を助けた
すごい僧侶さんなんだね。

reopa

教えの違いはあるけど、二人ともすごい僧侶さんなのは、間違いないね。
それでは、空海さんの残した名言を見てみよう。

【名言】

 空海は、生涯沢山の名言を残しています。
周りの環境は心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。
静かで落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる」

この宇宙の生きとし生けるもの全てが、悟りを得て仏となり、
涅槃を求めるものがいなくなったとき、私の願いは終わる

reopa

沢山のエピソードのある空海さんですが、その一部を
紹介します。

【エピソード】

 空海は、現在の香川県の出身で青年期に四国各地で、山修行を行っていました。
そのことが、四国八十八箇所の遍路の元になっていると言われています。

 空海は、嵯峨天皇(さがてんのう)・橘逸勢(たちばなのはやなり)と共に
三筆と呼ばれる能書家でも有名で、 空海の書で国宝となって残る物もあります。

 ことわざに弘法も筆の誤りというものがありますが、
「習字がとても上手な弘法大師でも、字を書きまちがえることがある」という意味です。

2024年3月24日栃木県,銅像

Posted by reopa