弟橘媛(おとたちばなひめ)【生没年不明】
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こんにちは、reopaです。case12は「弟橘媛」さんです。
「悲しい物語のヒロイン」として知られる弟橘媛さんは
どんな人物だったのでしょうか。
【銅像所在地】
【銅像所在地:千葉県 富津市 岩瀬 岩瀬海岸】
弟橘媛(おとたちばなひめ)の銅像がある冨津市(ふっつし)岩瀬海岸は、走水に入水した
弟橘媛の遺品が、打ち上げられた場所と伝えられています。
富津の名前の由来は「布が流れてきた津」→「布流津」→「富津」になったと言われています。
弟橘媛の遺品が、岩瀬の浜に打ち上げられると一頭の馬が現れ、遺品をくわえ向かった先が、
「吾妻神社」と伝えられ、弟橘媛の遺品を祀ったのが始まりと伝わる古社です。
岩瀬海岸で「馬だし」神事が行なわれるところから『馬だし祭り』と呼ばれています。
【家族構成】
父:建忍山垂根(たけおしやまたりね) 母は不詳
夫:日本武尊(やまとたける)
息子:稚武彦王(わかたけひこのみこ)「日本書記」 若建王(わかたけるのみこ)「古事記」
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弟橘媛さんの話は、悲しい話になるけど日本武尊さんとの
夫婦愛の話なんだよね。
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弟橘媛さんの亡くなった場所が、現在の千葉県だったため
伝説に由縁のある地名や神社が多く残されているんだ。
日本武尊さんは「case8」で紹介しています。
【人物像】
弟橘媛は、穂積氏一族の建忍山垂根の娘と、日本書紀には記されています。
日本神話に登場する日本武尊(やまとたける)の妃で、悲劇のヒロインとして知られています。
東征の際、相模から上総に向かった時、一行の船が海神によって航行を妨げられると、
「これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」といい、
弟橘媛は、海中に身を投じて海神を鎮め船を進ませ、日本武尊の使命達成に命を捧げました。
夫婦で祀られていることが多いことから、恋愛や縁結びの神としても信仰を集めています。
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諸説ある中で、弟橘媛さんの生誕の地とされている「忍山神社」がある
地は日本武尊さんの亡くなった地でもあるんでしょ?運命を感じるよね。
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弟橘媛さんと日本武尊さんの、絆の深さを感じる逸話だね。
二人の絆を、更に知るために出来事を見ていこう。
【時代背景】
『古事記』には、弟橘比売命(おとたちばなひめ)と記され、
日本武尊(やまとたける)の、東国平定の際に行動を共にしています。
東征の途中、相模の国(駿河の国)では、地元の豪族に草原の神を従わせるために
手を貸して欲しいと頼まれ、案内された草原に着くと豪族により草原に火を付けられます。
炎に囲まれる中、日本武尊は弟橘媛をかばいつつ、叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から
託された 神剣天叢雲(あめのむらくも)で周りの草をなぎ倒し、火打石で向かい火を焚いて
難を逃れ、騙した豪族を成敗しこの地で焼いたため「ヤキツ」と言われました。
後に天叢雲は「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになり、今も皇室に伝わる
三種の神器として大切にされています。
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「草薙の剣」は、日本で最も有名な剣といえるんだよね。
ヤマタノオロチを退治した伝説にも登場している剣で、正当な皇位を
継ぐ天皇さんに、継承されていく「三種の神器」の一つなんだね。
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日本武尊さんを騙して火を放ったのは、静岡の焼津の豪族と言われていて、
静岡の地名には「焼津・草薙」などの神話に由来する地名があるんだ。
その後、相模から上総に向かった時、走水の海(浦賀水道)で一行の船が海神によって
航行を妨げられると、弟橘媛は海中に身を投じて海神の怒りを鎮め、船を進ませたとされます。
海中に没しながら「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」と
日本武尊に歌を残しました。
意味は「相武の野が燃える火中ので 私の身を案じて名を叫び続け 気遣ってくれたあなた」
と感謝を込めた歌です。
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豪族の野焼きの罠の時に、日本武尊さんに助けられたことに感謝し、
日本武尊さんを助けるために、自らの命を捧げる行動には、愛を感じるね。
無事に目的地に着いた日本武尊は、妻を亡くした悲しみで海岸をさまよい歩いたそうです。
その日本武尊の想い「君不去(きみさらず)」が、木更津の地名の由来といわれています。
また、弟橘媛の死を「吾妻(我が妻よ…)」と嘆いた事から吾妻の地名の由来といわれます。
「千葉県袖ケ浦」は、弟橘媛の着物が流れ着いたことが地名の由来とされています。
吾妻、木更津、袖ヶ浦など、弟橘媛と日本武尊の物語が由来となっている地名は多いです。
現在でも千葉を中心に「吾妻神社」が多く点在するのは、日本武尊の悲しみがいかに
深かったかを表しているようです。
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二人の伝説に纏わる地名が、これほどあると「おとぎ話」だとは、
思えないね。
【エピソード】
日本武尊と弟橘媛の話は有名ですが、二人は「お見合い」をした後に、帝の許可を得て
結婚したという話があります。
諸説ありますが、三重県の亀山市に弟橘媛(おとたちばなひめ)の生誕地とされる
「忍山」(おしやま)神社があります。
また、広島県の安芸の国が弟橘媛の生誕の地であり、その地で結婚したとの話もあります。
代表的な3つの神社は、「橘樹神社」「 吾妻神社」「 走水神社」です。
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