土方歳三(ひじかたとしぞう)【1835年~1869年 享年35歳】

2023年6月1日北海道,銅像五稜郭タワー,土方歳三,江戸時代,明治時代

reopa

こんにちは、reopaです。case2は「土方歳三」さんです。
新選組の「鬼の副長」「イケメン」で有名な、歳三さんは
どんな人物だったのでしょうか。

【銅像所在地】

【銅像所在地:北海道函館市五稜郭町 五稜郭タワー】
 五稜郭は函館にある星形の要塞で、箱館戦争で新選組と歳三の最後の地です。
ペリーの来航以来、アメリカ・イギリス・フランスから開港を求められ、
箱館港の開港時に諸外国からの防御等を目的に、江戸幕府により建造されました。
星形にした理由は、五か所の先端から監視することで、どこから攻められても
死角がない構造です。この方式の建造物は、現在でもヨーロッパ各地で見られます。
現在は、五稜郭公園として「五稜郭タワー」や「箱館奉行所」があります。
桜の名所としても有名な観光スポットです。

【家族構成】

父:土方義諄(ひじかたぎじゅん) 母:恵津(えつ)
土方家は「お大尽(おだいじん)」と呼ばれる多摩の豪農でした 。

歳三さんは、武士の家系ではなく、農家の出身って少し意外ですね。

reopa

歳三さんは、イケメンで怖いイメージがあるけど
どんな人物か、少し紹介しようか。

【人物像】

 歳三は武蔵国多摩郡(東京都日野市)で、10人兄弟の末っ子として生まれました。
江戸時代末期に活動した新選組のナンバー2である「副長」を務めた人物です。
新選組は身分を問わず、腕に自信のある者が集まった組織の為、統制が取れず
結束の為に歳三は「局中法度」を作成。 厳しい規律を用いて違反する者は
容赦なく切腹等に処していた為、「鬼の副長」と呼ばれる様になりました。

局中法度

隊の結束を強めるために、厳しい規律を作って統制したかったのを感じるね。

【時代背景】

 歳三は 11歳で江戸へ奉公に出て、後に佐藤彦五郎(歳三の姉の旦那)が剣術流派の
師範をしていた「天然理心流」の道場である「江戸試衛館」で剣術に励み、
師範代となります、この頃に近藤勇と知り合ています。
この試衛館には、後の「新選組」の主要メンバーとなる沖田総司、井上源三郎、山南敬助、
永倉新八
等が出入りしていました。

reopa

11歳といったら、現在の小学生の高学年くらいで、高い志があったのかな?
後の新選組のメンバーも、この時期に知り合った事に運命を感じるね。

 国内ではペリーの黒船来航依頼、京都を中心に開国派と攘夷派の争いが激化
江戸幕府は京都の治安を守る為、強ければ身分は問わないと言う条件で剣豪を募集し、
「浪士組」(後の新選組)と呼ばれる組織が誕生します。
歳三は近藤勇や沖田総司らと共に、この浪士組に参加することになります。

 新選組は、明治維新の混乱の中で江戸幕府の治安維持部隊の様な組織です。
歳三は剣豪集団「新選組」の副長として、主に京都の治安を守り江戸幕府を
倒そうとした討幕派の中心である長州藩などの過激な志士たちと戦うことになります。

倒幕の機運が高まっている時期だから、新選組も狙われたりしたのかな?

 1864年(元治元年)京都の旅籠・池田屋に潜伏していた長州藩と土佐藩などの
尊王攘夷派の志士を新選組が襲撃した「池田屋事件」が起こります。
この事件で新選組の名前は京都中に広がり、目的達成の為に手段を択ばない
暗殺集団と恐れられました。

 その後、薩長同盟(新政府軍)と幕府(旧幕府軍)の戦いが激化する中、徳川慶喜
大政奉還し江戸幕府は倒れました
倒幕後も戦いは終わらず、1868年(明治元年)新政府軍と旧幕府軍による
「鳥羽・伏見の戦い」が開戦し、旧幕府軍と新選組は敗北します。
新政府軍の攻撃に敗走を続けた新選組は壊滅状態で、この頃に組長の「近藤勇」
斬首処刑
にされます。

reopa

事実上、幕府が倒され新選組の士気も下がっている時に、組長の
近藤さんが、斬首されたら更に士気は下がったのは想像できることだね。

 歳三はその後、東京に戻り旧幕府主戦派と合流するも敗北。
更に宇都宮・壬生・会津と転戦を続け、仙台まで敗走し奥羽列藩の兵と共に
函館に逃れ、「五稜郭」で戦いました。
京都から北海道まで戦い続けた歳三ですが、1869年(明治2年)「五稜郭」
戦いの中で、流れ弾に当たり戦死します。

 歳三は、戊辰戦争の初戦となる「鳥羽・伏見の戦い」から、「戊辰戦争」の最後の
戦いとなる「箱館戦争」まで戦い続け、長州藩や新政府軍と死闘を繰り広げました。
五稜郭で戦死したとされている、歳三の遺体は行方が不明となっています。

箱館戦争の図

倒幕された後の戦は、更に厳しいものだったんだね。でも、歳三さんの
遺体が見つからないって、亡くなっていない可能性もあったのかな?

reopa

他の人物でも、実は生き延びていたという話は、
歴史の中で沢山あるから事実はどうなのか気になるね。

【名言】

土方歳三の信念は
「武士より武士らしく」 「新選組を天下一の組織にして、近藤勇を大名にする」 事だと
伝えられています。

【愛刀】

 土方歳三の愛刀紹介します。
最も有名な愛刀は「和泉守兼定」 
「和泉守兼定」土方歳三資料館 東京都日野市石田
「大和守源秀國」霊山歴史観 京都府東山区清閑寺霊山町
「葵紋越前康継」佐藤彦五郎新選組資料館 東京都日野市日野本町

和泉守兼定(引用元:土方歳三資料館
reopa

鬼の副長とは、少し違う一面も紹介します。

【エピソード】

 このような強さを見せる一方で、歳三は普段は温厚な人柄で容姿端麗であった為に、
京都の女性たちから人気がありました。 和歌や俳諧を嗜むなど風流人の要素もあり、
彼の句は『豊玉発句集』としてまとめられています。

【家紋】

土方家の家紋「左三つ巴紋」

 土方歳三の家紋は「左三つ巴紋」です。
巴紋は「渦巻」を形にしたもので「災害を退ける」という意味があるといわれており、
このため、この紋を家に飾ることもあります。
巴紋といわれる紋は、巴の数や渦を巻く向きの違い、大きさや模様など種類が多くあります。
一部を紹介すると「右一つ巴」「左渦巻き巴」「右五つ巴」「台巴」などです。
この様に、種類も多く人気の家紋であるため、使用者は多数います。

2023年6月1日北海道,銅像

Posted by reopa